大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 平成10年(行ツ)59号 判決 1999年1月22日

フランス国パリ セデクス 一七 リュ バヤン 四三

上告人

ヴァレオ

右代表者

マルク ルメール

右訴訟代理人弁理士

竹沢荘一

倉持裕

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被上告人

特許庁長官 伊佐山建志

右当事者間の東京高等裁判所平成八年(行ケ)第三三号審決取消請求事件について、同裁判所が平成九年六月一〇日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人竹沢荘一、同倉持裕の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点も含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福田博 裁判官 河合伸一 裁判官 北川弘治)

(平成一〇年(行ツ)第五九号 上告人 ヴァレオ)

上告代理人竹沢荘一、同倉持裕の上告理由

(一)理由不備、理由齟齬により特許法の条文の適用を誤った。

本願の第一発明と第二発明は、引用例に記載の発明と同一としている。

然し乍ら、その理由は、[本願の第一発明と第二発明は、米国特許第三、二七〇、八四六号(引用例)の発明、即ち、「金属裏当て部材及び該裏当て部材に接着固定された弾力性ある多孔質摩擦フェーシングを有し、該摩擦フェーシングが、主として天然セルロース繊維及び二〇〇°Fに耐えうる合成有機繊維の群から選ばれる少なくとも一つの繊維材料約三〇重量%~約七〇重量%、アスベスト繊維約五重量%~約三五重量%、三・五モースよりも大きい硬度の少なくとも一つの無機充填材料約一〇重量%~約五〇重量%を含有するインターフェルトされた繊維質紙シートからなり、さらにフェーシングは紙の重量に対して約一〇%~約五〇%の、少なくとも一つとの硬化せる熱硬化性樹脂を含有し、フェーシングは少なくとも六〇%の気孔率を有する、油中で運転するように適合されたトルク制御装置用摩擦部材]と同一としている。そして、そこに記載の合成有機繊維に関して、その明細書の記載、即ち、[適当な合成有機繊維は二〇〇°F以上の外界温度に耐えることができ、押出しまたは紡糸によって形成される。このようなものは例えば下記のものである。・・・ポリアクリルニトリルからなる合成繊維(オーロン)、・・・塩化ビニルとアクリルニトリルとの共重合体(ダイネル)等。]から、米国特許のクレーム記載の合成繊維は、オーロン或るいはダイネルであり、よって、本願発明は、米国特許と同一であるとしている。

然し乍ら、「本願発明での、摩擦用ライニングに含有されるアクリル系及び/又はモダクリル系繊維」については、[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する]ものと限定しているものである。

引用例に記載された発明のうちに、利用される合成繊維が、オーロンおよびダイネルでも、本願発明の要件の一つである[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する]に相当するものもあるが、例えば、分子量が非常に小さいもの(即ち、重合度が非常に低いもの)では、その条件[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する]に相当しないものもある。

これは、引用例発明での一つの要件に挙げられる[二〇〇°Fに耐えうる]ということ、即ち、摂氏約九二度の温度に耐えられるものでよい点を配慮すると、利用できる合成繊維は、例えば、合成繊維、オーロン、ダイネル、アクリル系、モダクリル系である場合でも、非常に重合度の低い低分子量のものでも引用例発明では利用できることが明らかである。

即ち、引用例に記載の発明では、非常に低温の耐性の合成繊維を含有するものであり、それに対して、本願発明では、特許請求の範囲の挙げた条件である[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する]の特性を有する繊維(即ち、アクリル系繊維或るいはモダクリル系繊維)は、少なくとも、低温耐性でないことは明らかである。右に説明の技術的背景を配慮すると、本願発明は、少なくとも、引用例発明のうちで利用される繊維のうちで、特に、比較的に高温耐性である範囲の、即ち、[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する]条件を有する繊維(即ち、アクリル系繊維或るいはモダクリル系繊維)を選択的に利用した発明である。

即ち、本願発明は、引用例の発明に記載される利用の合成繊維の範囲のうちで、少なくとも、特に、[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する]の特性を有する繊維だけを選択的に利用したものであり、即ち、選択発明である。従って、特許法第二九条第一項三号の規定を適用すべきでなく、特許法第二九条第二項の規定を適用すべきであり、適用条文の誤りがある。即ち、特許庁の判断を経ていない事項に関するものである。特許庁が新たに判断すべき事項を含むものである。

更に、説明すると、引用例に説明される合成繊維のすべてが、本願発明の条件である[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する]という特性を有することの証明はされておらず、本願発明は、引用例記載の発明とは、明らかに相違するものである。

(二)適用条文の誤用は、事実誤認によるものである。

本願発明と引用例記載の発明の相違点の看過について、東京高等裁判所の審決取消訴訟において、上告人が、引用例記載の[摩擦部材]と本願発明の[摩擦ライニング]とは用途の相違を主張したとしているが、これは、事実誤認である。上告人は、引用例に記載の摩擦部材は、二〇〇°Fという非常に低温に耐えればよい合成繊維を使用するものであり、それは、油中の使用だけを目的としたものであるためで、それに対して、本願発明の[ライニング]は、油中の使用にもできるが、更に、空気中での使用でも可能なものであり、使用の合成繊維は、[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する]条件を有するものであり、これは、引用例の使用合成繊維の条件である[二〇〇°Fという非常に低温に耐えればよい]という条件とは非常に異なる。

引用例に記載の摩擦部材は、用途限定のあるものであり、それに対して、本願発明のライニングは用途の限定のないものと主張したものである。即ち、特定用途の組成物から一般的用途の組成物にするには、何らかの困難点の克服が必要なものであるので、発明として相違すると主張する。

即ち、本願発明のものは、広く一般的に使用でき、用途の限定のないもので、油中でも普通の空気中でも使用できるものである。即ち、部分用途の組成物から汎用組成物にするには、発明進歩性を必要とする。それは、[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する]特性を有する合成繊維(即ち、アクリル系繊維或るいはモダクリル系繊維)を使用することが、進歩性を構成する一つである。

次に、「初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する」という性状、特性限定は、乙第一~第五号証の記載のものから、理解できるものにすぎないとする認定は、事実誤認である。

先ず、乙第三号証に記載の[塩化ビニル-アクリロニトリルコポリマーの熱変性は、ポリ塩化ビニルおよびポリアクリロニトリルについて示唆された機構をおそらく含むであろう。一三〇℃でポリ塩化ビニルに生じ始める脱塩酸反応がおそらくまず起こるであろう。(中略)分子間脱塩酸による橋かけもまた生ずると考えられる。より高温においては、アクリロニトリルモノマー単位の連鎖に起因する橋かけおよび環生成がおそらく生ずると考えられる。これらの反応はポリアクリロニトリルでは約二〇〇℃で始まる。]との記載からは、[アクリロニトリル重合体及び塩化ビニル-アクリロニトリル共重合体は、いずれも架橋結合性を有すること]が、分かるだけである。然し乍ら、これらの記載から、本願発明の要件である、摩擦ライニング部材に含有すべき合成繊維は、[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する特性を有するアクリル系繊維又はモダクリル系繊維であること]は、示唆されない。

また、乙第四および五号証には、[ポリアクリロニトリルが加熱下で分子内環状化反応をして架橋結合すること]が記載され、また、乙第三号証には[塩化ビニル-アクリロニトリルコポリマーの熱変性は、・・・・一三〇℃でポリ塩化ビニルに生じ始める脱塩酸反応がおそらくまず起こるであろう。・・・より高温においては、アクリロニトリルモノマー単位の連鎖に起因する橋かけおよび環生成がおそらく生ずると考えられる。これらの反応はポリアクリロニトリルでは約二〇〇℃で始まる。]との記載から、[アクリロニトリル重合体及び塩化ビニル-アクリロニトリル共重合体は、いずれも架橋結合性を有すること]が、明らかである。即ち、[アクリロニトリル重合体及び塩化ビニル-アクリルニトリル共重合体]が、架橋結合性を有することだけが明らかである.然し乍ら、これらの記載から、本願発明の要件の一つである、摩擦ライニング部材に含有すべき合成繊維は、[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する特性を有するアクリル系繊維又はモダクリル系繊維であること]は、示唆されない。さらに、乙第一号証に示唆されるものは、[ポリマーに水を添加すると融点を下げる]というもので、それは、[非結晶性コモノマーが欠損状態で結晶格子に入り、格子を安定化させる]ためであるというものであり、本願発明の[摩擦ライニング部材に含有すべき合成繊維は、初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する特性を有するアクリル系繊維又はモダクリル系繊維である]という要件とは無関係である。そして、乙第二号証で示唆されるものは、[可塑剤量と関係し、脆化点に関連する2次転移点と融点の関係を議論していて、各プラスチックに対する二つの点を挙げている]だけであり、そして、[プラスチックの分子量が低い場合には(アクリル系繊維又はモダクリル系繊維でも分子量が低いと)、転移が広い範囲で生じて、融解しても流れやすい液体になる]ことを示唆する。また、乙第三号証で示唆するものは、アクリル繊維とモダクリル繊維の差異を明らかにして、[アクリル繊維は融点がはっきりしないが、モダクリル繊維の融点はかなりはっきりしている]ことである。また、[アクリル繊維の軟化点は比較的に高いが、モダクリル繊維(ダイネル)は軟化領域が低い](乙第三号証の四八三頁第二段参照)ことを示唆する。そして、乙第四号証で示唆するものは、[オーロンを加熱していくと、着色し、黒色になる]こと、そして、[それは分子内環化のためである]こと、更に、[そのようなことを防止するために安定剤を用いる]こと(乙第四号証二二五頁二、三段参照)]である。乙第五号証で示唆するものは、[ポリアクリロニトリル系繊維は、加熱していくと、溶融点がなくて、いきなり、分解炭化すること]である。右に説明したように示唆されたものは、本願発明の要件である、[摩擦ライニング部材に含有すべき合成繊維は、初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する特性を有するアクリル系繊維又はモダクリル系繊維であること]とは、無関係のものである。

そして、すべての[アクリル系繊維又はモダクリル系繊維]が[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する]特性を有することを証明するものはない。即ち、合成繊維は、加熱されると溶融せずに、分解するものも、また、燃え出すもの、非常に流動性のある柔らかいものになるものも、また、蒸発してしまうものもある。例えば、乙第五号証に記載されるように、ポリアクリロニトリル系繊維のある種のものは、溶融点がなくて、いきなり、分解炭化するものもある。

この点に関して、審決取消訴訟において、上告人は、〔摩擦用ライニングに含有される合成繊維は、初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成するという特性を有するアクリル系繊維又はモダクリル系繊維である]ということが、乙第一~第5号証からは、示唆されないと主張したものである。

即ち、アクリル系繊維やモダクリル系繊維が、これに似た特性を有することは分かっていた。然し乍ら、アクリル系繊維やモダクリル系繊維のすべてが、この特性を有することは、如何なる文献からも示唆されない。ましてや、引用例に説明されているアクリル系繊維やモダクリル系繊維に必要とされている特性は、前記のように、一〇〇℃以下の約九二℃である二〇〇°Fに耐える特性があればよいとしてあるので、本願発明のような[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する]という特性を必要とすることは、何ら示唆されないものである。

[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する]繊維は、勿論、他にもあろうが、本願発明は、その特性が、摩擦用ライニングに含有せしめるアクリル系繊維及び/又はモダクリル系繊維の特性として必死なものであることを明らかにしたものである。即ち、前記のように、本願発明は、一種の選択発明である。

上告人は、乙第一ないし第五号証には、[初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成するもの]と明示されていないことを理由としたものでなく、[そのような特性を有するアクリル系繊維やモダクリル系繊維が、ブレーキライニング部材に含有される合成繊維として適すること]は、乙第一ないし第五号証に明示されていないと主張したものである。この点に関して、判決は判断していない。

(三)法令解釈に誤りがある

乙第一ないし第五号証を、審決取消訴訟において、新たに追加して、発明の新規性の否定の根拠とすることは、何ら法律違反にならないとする根拠は、判決の理由づけによると、第一に、[引用例にはその発明の実施し得る程度に技術事項が記載されていることを意味する]から、後から、引用例記載の技術内容を明らかにするための補助的資料として、審判手続において示されていない技術水準に関する資料を書証として提出することは、審決取消訴訟の審理範囲に含まれることであり、第二に、これを禁止する法的根拠は存しないというものである。

この理論に対して、反論する。第一の論点について云えば、判決は次のように述べる。[特許法第二九条一項三号に規定する「刊行物に記載された発明」における刊行物に発明が記載されているということは、出願当時に技術水準に基づいて当業者が当該刊行物(引用例)をみた場合において、その刊行物に容易に発明を実施し得る程度に技術事項が記載されていることを意味するものであり、引用例記載の技術内容を明らかにするための補助的資料として、審判手続において示されていない上記技術水準に関する資料を書証として提出することは、当該審決取消訴訟の審理範囲に含まれることであって・・・]。第一に、[特許法第二九条一項三号に規定する「刊行物に記載された発明」における刊行物に発明が記載されているということは、出願当時に技術水準に基づいて当業者が当該刊行物(引用例)をみた場合において、その刊行物に容易に発明を実施し得る程度に技術事項が記載されていることを意味するものであり、]という論理は、合理性のないものである。特許法第二九条一項三号の規定で引用例に必要な要件は、出願前に刊行されていることだけである。引用例記載の発明が特許要件を満たすか否かは、要件とされていない。一般的に特許要件が審査されていなく、容易に発明を実施し得る程度に技術事項が記載されているかどうか審査されていない発明を記載してある公開公報も引用されている。当該引用例について云えば、引用例の記載が特許要件を満たしているか否かは、米国特許法の問題である。引用例に当該発明が記載されているか否かは、当該引用例での記載、言葉と図面の問題である。さらに、[引用例にはその発明の実施し得る程度に技術事項が記載されていることを意味する]ことが、[後から、引用例記載の技術内容を明らかにするための補助的資料として、審判手続において示されていない技術水準に関する資料を書証として提出することが、許されること]の根拠になることはない。即ち、引用例に何が記載されているかは、審決取消訴訟の審理範囲に含まれることは、特許法第二九条一項三号の規定から明らかであるが、引用例の記載の発明が特許要件を満たしているか否かは、別の問題であり、また、この引用例では米国特許法の問題である。

引用例記載の事項の範囲内か否かが、審決取消訴訟の審理範囲であることは、論理的に正しいし、引用例の記載の事項からしか判断できないのは、特許法第二九条一項三号の要旨から明らかである。そして、引用例の記載には、文章の誤りや誤訳やタイプミスがあることは否定できないので、それらを正しく解釈するために、例えば国語辞書、英和辞書等の補助的資料が必要になることはあろう。特許庁の実務においても、外国語書面出願およびPCT外国語特許出願における誤訳訂正をする場合に、誤訳訂正書に英和辞書等の訂正の理由の説明に必要な資料を添付することは認められている(特許法第一八四条の一二第二項)。

従って、引用例記載の技術内容を明らかにするための補助的資料として、このような資料を提出することは、考えられる。然し乍ら、判決で云う[技術水準に関する資料]は、特許法第二九条一項三号の規定の刊行物であるので、出願前に頒布されたという要件を満たすものでなければならない。そして、補助的資料という名目であっても、[技術水準に関する資料]は、特許法第二九条一項三号の規定の刊行物であるので、許されるというものではない。これは当り前のことであり、審決取消訴訟は、審決の適法、違法を対象とするものであり、審決は、それを[前審]と称することが妥当かどうかは別として、職権行使において独立の審判官により、訴訟手続に準じた厳格な手続によって審理され(特許法第一四五条以下)、審理の結果の結論が審決書にまとめられ、審決書には結論に至った理由が記載されなければならない(特許法第一五七条第一項第四号)のであるから、審決の判断の基礎となった、発明と引用例との対比とは別の資料による主張を許すことは、審決が判断していないことを判断の基礎としたものである。出願した発明と引用例記載発明との対比に、別の資料による主張を許すことは、審決の判断していないことを判断することとなり、審決取消訴訟の対象が違うものになってくる。これでは審決に理由を付すべきものとしたことが全く無意味なことになってくる。

従って、いくら補助的資料だからといって、許されるというものではない。[審判手続において示されていない技術水準]を、審決取消訴訟において、新たにもちだすことは、訴訟物を変更することに外ならない。

審決取消訴訟の審理範囲は、審決で審理した範囲に限定されるので、審決取消訴訟の判決は、不当である。

次に、第二の論点について述べると、これは、後から、審判手続において示されていない技術水準に関する資料を提出することを禁止する法的根拠は存しないというものである。[後から、審判手続において示されていない技術水準に関する資料を提出することを禁止する法的根拠は存しない]から、何をやってもいいとはならない。法的禁止規定がないからと云って何をやってもいい、またどうしてもいいとはならないと思料する。禁止しているか許されるかは、法律の趣旨を考えて、その法的根拠に基づいて、どちらかに解釈すべきであり、規定がないから好きにしてよいとは、法律一般のセンスとして、許されるものではない。

出願時の技術水準にある発明には特許を与えないのが、発明の新規性の要件であり、それは、特許法第二九条第一項に規定されており、一般的抽象的な技術水準を想定しているわけではなく、具体的に特許法第二九条第一項の第一~三号に規定される発明に該当すると、新規性が否定されるという規定であり、特許法第二九条第一項の各号の規定に該当する刊行物がなければ、新規性があるという規定である。

従って、審決を構成するものは、適用条文(ここでは特許法第二九条一項三号の規定)と適用した引用例の組合わせである。適用条文が違うと、例えば、ここでは、新規性の代わりに、特許法第二九条第二項の進歩性の規定を適用したり、また、適用する引用例がちがうと、それに対する反論が、異ならなければならない。

審決で審理判断されていない公知事実を基にして刊行物記載を主張することは許されないというのが従来裁判実務の扱いである。ただし、当業者の技術常識を認定し、発明の持つ意義を明らかにするための資料として新たな主張、立証は許容される。(最高裁昭和五五年一月二四日判決、民集三四巻一号八〇頁)。ただし、明示又は黙示にも審決の判断を受けていない技術事項が、当業者の技術常識と呼ばれることとして主張されることにより、新しい引用例に相当する技術的事項となるような場合には、審決取消訴訟段階で新たにその提示を許されない。審決取消訴訟段階で新たに提出が許される例として、刊行物の頒布された日時が出願日前であることを証明するための証拠がある場合(最判平成三・四・二五判例工業所有権法五三七の七頁)、また、先願発明の存在を理由とする無効審決に対して、審決取消訴訟において、新たに当該先願発明について出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達前にした明細書の補正がその要旨を変更するものであり、その特許出願日は本願発明の特許出願日よりも繰り下がるから、先願にはならないという主張を取消事由として提出することも許される(最判平成五・三・三〇判時一四六一号一五〇頁)。然し乍ら、技術的事項に関わる部分については、後に審決取消訴訟で持ち出すことは許されない。

一般的に云って、技術用語は、技術の進歩とともにその内容、定義は変わっていく。また、一般的用語も社会の変化によってその内容、定義も変わっていくのと同様である。

例えば、振動として音波を利用する場合、ある技術進歩の時期までは耳に聞こえる範囲約二万ヘルツまでの音波であったが、科学の進歩に伴い、音波の特性が明らかになった時期から当然に何万ヘルツ、何十万ヘルツの超音波も含まれるようになっただろう。

また、合成繊維の”ナイロン”の技術用語も、現在はポリアミドのうち線状の合成ポリアミドの総称であるが、最初は、米国のデュポン社のカローザスのジアミンと二塩基酸の重縮合物である六、六-ナイロンであったが、その後ドイツや日本で、ω-アミノ酸或るいはカプロラクタムの重縮合物或るいは重合物たる六-ナイロン(ポリカプラミド)が生産されてきて、それもナイロンと称し、更に、一一-ナイロン(ポリウンデカンアミド)も生産され、それもナイロンのうちにされてきた。このように、技術用語は、技術の発展、進歩に従って変わっていくものである。従って、技術用語の定義や意味を説明する文献と云えども、また、補助的資料と称することがあっても、引用例に開示してある技術内容を、変えることとなる場合があり、引用に使用される技術用語は、技術の進歩に従って変わるものである。従って、新たに提出する文献は、どの時点で技術用語の定義、内容が変わったを証明する文献は、新たな技術的事実を証明するものとなる。即ち、科学技術では、常に進歩していくから、技術用語は、その内容、定義も変わっていく。

技術用語の定義が、その発明の出願時に確定してしまって、その後変化していないかどうかは、一般的に云えば分からないものである。即ち、技術状態が分からないものにおいて、技術用語或いは一般的用語について、定義を明らかにする刊行物を後から提出することは、訴訟物を変えることとなる。

右に説明したように、審理の過程において、上告人の主張を、誤解して、異なる点を争点、論点として事実誤認をなしたものである。

そして、また、引用例にある用語の解釈、技術内容を後から説明したために、実質上、審理の範囲が拡大し、変わってしまったものである。

(四)憲法第三二条[何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない]の規定に反する。

上告人はフランス国法律による法人格を有する法人であるが、パリ条約第二条により日本国民と同じ権利が与えられている。

従って、上告人は、[裁判所において裁判を受ける権利を奪われない]権利を享受するところである。即ち、上告人は、日本の法令が日本国民に対し現在与えており又は将来与えることがある利益を享受する。

然し乍ら、上告人は、右に説明したようにして、本件審決取消請求訴訟で、上告人の裁判所において裁判を受ける権利を奪われたものである。右に説明したように、特許法第二九条第一項三号の規定を適用すべきでなく、特許法第二九条第二項の規定を適用すべきであり、適用条文の誤りがある。即ち、特許庁の判断を経ていない事項に関するものである。特許庁が新たに判断すべき事項を含むものである。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例